小劇場タイニイアリス-本- |
数日前だった。新宿二丁目の小劇場「タイニイアリス」が閉館になったことを知った。2015年3月のことだというのだから迂闊だった。ここ10年ほど、足を運ぶこともなかったのだから、寂しいだの残念だの言えた義理ではないのだが、やはりなにがしかの感慨はある。タイニイアリスが新宿三丁目にあったころから、わたしの劇団での公演で利用させてもらっていたし、わたしの作品以外でも、照明として参加した公演も多かった。新宿の小劇場を中心とした20年あまりの演劇活動の後半は、この劇場をほぼ利用していたのだ。演劇活動の前半によく公演を打っていた「アートシアタージュク」もタッパがあり、いかにも小劇場といった雰囲気もあって、好きだったのだが、そこが閉館してしまったからだ。
タイニイアリスはタッパが低く、関わった公演ほとんどで照明も兼任していたわたしにとって使いやすい劇場とは言えなかったが、小屋番さんとの信頼関係もあったのだろうが、24時間の仕込みなども許容されていて、泊まり込みで演劇にドップリつかれる環境があった。二丁目に移ってからは、その立地もあって珍しい風景を見ることもできた。灯体はボロボロだったが、その代わり曲吊りも許され、吊込の時はいつもペンチをズボンの後ろポケットにねじ込んでいた。台本を書くときも役者ではなく舞台に対するアテ書きができる、劇場だった。
思い出話を始めれば長編小説並みになってしまうので、『小劇場タイニイアリス』の話に移る。内容は、編集人三人と小屋主の西村博子氏、丹羽文夫氏のエッセイ、上演記録、年譜、国境を超えた交流そして公演チラシの掲載などだ。芸術新聞社というところから出版されている。とくに驚いたのが32年分の公演チラシが保管されていて、一ページに25枚なので一枚一枚の写真が小さいのはしかたないが、カラーですべて掲載されていることだ。自分の関わった公演チラシを一生懸命に探してしまった。(上手く撮れなかったがここにあげたのはそのうちの何枚かだ。)わたしの手元には残っていない資料がこんなところで取り戻せた喜びだけでない感動を味わった。小屋番小屋主ともに、自分の劇場活動に対する深い愛情を持っていることが確認できたような気がしたことがその理由だ。
前書きにある「行政による公共劇場の取り組みが存在感を増していく昨今、民間の小劇場として、草の根からコンセプトを持った文化発信を行い、国境を超えた演劇人同士の交流においても先駆的な役割を果たしてきたタイニイアリスの足跡をたどることは、今後の社会における演劇、ひいては芸術の役割を考える上でも大きな意義を持つにちがいない。」という言葉はわたしが近年特に気になっていることに響きあう。西村、丹羽両氏のエッセイにはわたしが初めて知る、タイニイアリスの志が感じられる。知らないことも多かった。特に杮落し前、剝き出しの水道管に手をかけながら語ったという唐十郎の言葉は感動ものだ。西村氏のエッセイに引用されている郡司正勝氏の「今在る演劇だけが演劇ではない」という言葉にも30年という時間を遡って共感する。
2016年7月24日
(編集:金世一・李知映・沼上純也
出版:芸術新聞社)