女性の名前 -イタリア映画祭2019- |
「女性の名前」 -イタリア映画祭2019-
監督:マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ
出演:クリスティアーナ・カポトンディ(ニーナ)
ヴァレリオ・ビナスコ(マルコ・マリア・トッリ)
[2018/イタリア/92分]原題:Nome di donna
『輝ける青春』『フォンターナ広場』のジョルダーナの最新作。『輝ける青春』は6時間の長尺だったが集中して観ることができたし、『フォンターナ広場』も面白い映画だった。2作しか観ていないので大したことは言えないのだが、この巨匠はあまり策を弄するようなことをしないストレートな作風なのだと感じる。本作『女性の名前』も職場でのセクシャルハラスメントと闘う女性の姿を時系列にそってストレートに描いている。
ミラノから車で一時間のところにある高級ケアハウス(老人ホーム?)で職を得たシングルマザーのニーナはマネージャーのトッリから介護士の制服のまま部屋に来るように命じられる。トッリのあからさまなセクシャルハラスメントに逃げ帰ったニーナだが、職を失うわけにはいかない同僚の介護士たちは、声をあげようとするニーナを排除しようとする。しかしニーナは、全裸でオフィーリアを演じたという入所者の元女優や、セクシャルハラスメントを扱う事務所や弁護士の力を借りて検察官を動かすことになる。トッリの執務室に仕掛けられたカメラに残っていたロシア人介護士への彼の行為が公判では有罪の決め手になったようだ。盗撮は検察官にしか許されずそれ以外のものは証拠にならないということなので、カメラを仕掛けたのは検察官だったというわけだ。
語り口自体はさほど新しいものを感じさせず、不満がないわけではないが、この映画を「教育映画」以上のものにしているのは、女優のクリスティアーナ・カポトンディだ。若いころは「その端麗な容姿から、清楚なヒロイン役が多かった」と紹介されている。確かに美貌の持ち主なのは間違いないのだが、どこか不安定で左右非対称的な表情が、ストーリーとは別の深みを映画に与えていると同時に観客の気分から安定感をそぎ取っていく。トッリの部屋に呼び出されたとき、組合事務所で検察の不起訴の報を聞かされた時、自分を孤立させる同僚たちを見渡すときなどに見せる、つまり不安や疑問や不信の表情だ。
上映後にジョルダーナ監督が何を語るか聞いてみたい気もしたが、やめにした。何度もがっかりさせられているからだ。もちろん登壇者にではない、質問にだ。
2019年4月28日 -有楽町朝日ホール-
*題名の「Nome di donna」だが、弁護士事務所の机上にそう題された厚いファイルがあったような気がする。もしその記憶が正しければ、被害女性の数の多さを語っていることになるのだけれど、どうだったろう。