「リハーサルのあとで」地人会新社 -演劇- |
「リハーサルのあとで」 地人会新社 -演劇-
作:イングマル・ベルイマン
演出:栗山民也
出演:一路真輝(ラケル、かつての名女優)
森川由樹(マリア、ラケルの娘)
榎木孝明(ヘンリック、演出家)
ベルイマンが舞台の世界で活躍していることはなんとなく知っていたが、彼がテレビ用に書いた台本の舞台化に立ち会えるとは思っていなかった。これはと思ってチケットを予約したが、それほど期待はしていなかったというのが正直なところ。まあ観ておこうかという程度だった。
でも悪くなかった。特に役者たち。彼らが発する科白はもちろん翻訳調のそれであるのは当然なのだが、ある種の演劇ジャンルの土俵の上で西洋人を日本人が演じる際の最高到達点に近いものだったと感じた。翻訳は岩切正一郎。いい日本語だったと思う。森川由樹は虚と実、男と女の感情のあわいを若々しく演じて好感を持てた。
バックステージものといえばバックステージものなのだろう。ストリンドベリ作『夢の劇』のステージが、ヘンリックがかつて演出した舞台で使用した道具類で飾られている。例えばイプセンの『ヘッダ・ガブラー』で使われたソファーなどだ。中割幕が完全に閉まりきっていなかったり、下手(しもて)の壁面がまだ完成していなかったり、「リハーサルのあとで」感を上手く出しているなかにヘンリックが静かに座っている。そこにマリアが「ブレスレッドを落とした」と帰って来る。そこから二人の対話劇が始まるのだが、そこで語られるのはマリアとラケルの母子関係、ヘンリックとマリアの関係、演出家と役者の関係などなどだ。どれも観客の感情の襞をサッと刺激しては消えていくもので、このあたりのベルイマンの「筆」は冴えている。
次に登場するのはラケル。彼女はヘンリックの友人と結婚して女優を引退し、マリアを生んだのちに精神の病を得て病院で死んだはずだから亡霊ということだろう。衣装の靴を履いたまま外に出てしまったので自分の靴を取りに戻って来たのだという。彼女は装置の裏で、または彼女の部屋で寝ようとヘンリックにせまる。かつてのように。そして自分の女優としての夢と不安、マリアのこと、科白二つの役をくれたヘンリックへの感謝を語る。
ラケルが去ったあと、マリアが再び登場して話はマリアの恋人の演出助手のこと、マリアの妊娠と堕胎のこと、ヘンリックの嫉妬とマリアへの恋情とにおよぶ。マリアが仰向けに横たわってその胸に触れるようヘンリックを促す場面で、今にも彼の手が胸に触れようとした寸前に出た科白、「10年前だったら…」。自分が思わず発したこの科白にたじろぐヘンリックとそれに対するマリアの愉快そうな反応。演出の勝利と言うべきか役者の勝利と言うべきか。本日最大の収穫だった。
「演劇とは何か」を問う舞台を常に欲しているのだが、こんなかたちで完成された舞台に接すると、その問いの深さをあらためて感じることになる。満足。
2019年9月10日-新国立劇場小劇場-