歓びのトスカーナ |
監督:パオロ・ヴィルズィ
出演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(ベアトリーチェ)
ミカエラ・ラマツォッティ(ドナテッラ)
(2016年製作/116分/イタリア語/イタリア・フランス合作)
イタリアでは隔離や強制的治療を施す精神治療施設が廃止されていて、そのことを描いた映画を何本か観たことがある。その度にそのような発想をする、つまり「解放」の想像力の源は何なのだろうと考えることになる。答は全然出ないのだが日本では多分ありえない種類の想像力がイタリアにはあるのだろう。「隔離」の国の人間としては真面目に考えなくてはいけないと思うのだ。
この作品はトスカーナ地方の精神療養施設が舞台になっているのだが、隔離や強制とまったく無関係とは思えない施設だ。ただ、私たちが想像する病棟の様とは大きく隔たっているのは確かなように思うのだ。設定が「解放」前だったのか、それともこれが実際の姿なのか僕にはわからない。
この作品が日本で公開されたのはイタリア映画祭だったように記憶しているが、僕は一般公開のときに銀座の映画館で前売り券を買った。それでも当日観に行けなかったのだが理由は覚えていない。次に行こうと思った時、関東ではもう宇都宮でしか上映していなかった。しばらくはいくつかある名画座の上映スケジュールを気にして見ていたのだが、見つからないまま今日に至った。今回、配信されているのを知って観ることにした。
ベアトリーチェとドナテッラの人となり、それぞれの「病状」・子供時代・親との関係・パートナーのこと、そして現在進行するふたりの関係の推移などなどとても情報量の多い作品だった。自分を伯爵夫人だと思って施設で好き放題振る舞うベアトリーチェ。脚の骨折で松葉杖をつきながら施設に運び込まれたドナテッラ。やせ細って、タトゥーを施し、暗い眼をしたドナテッラに興味を持ったベアトリーチェは同室者として彼女を迎え入れる。お喋りで、世話好きで、嘘つきなベアトリーチェに付き合うようにドナテッラも意図せず施設から逃げ出すことになる。ベアトリーチェの実家やパートナーの家を訪ねる逃避行になるのだが、焦点は養子にだされたドナテッラの子どもとの邂逅だろうか。海水浴場での予期せぬ出会いのシーンは悪くなかった。彼女は海で母子心中をしていて、そのために養育権を奪われた過去があった。施設に運ばれた時の骨折はそのときに負ったものかもしれない。
エピソードが多すぎるのでここまでで終わりにするけれど、最終的にふたりは再び施設に帰ることになって映画は終わる。映画は終わっても、登場人物たちの将来の物語まで想像できるほど人物や人間関係が濃厚に書き込まれている映画だった。たとえば18歳になったドナテッラの息子が産みの親の存在を知った時のことなど勝手に想像してしまう。とにかく濃厚な作品だ。これは大したものだと感心した。