椿の庭 |
監督:上田義彦
田辺誠一、清水綋治、張震(チャン・チェン)
(2020年/日本/128分/アメリカンビスタ/カラー)
こういった映画だとわかったうえで観に行ったのだから、それについて何か言うことはない。こういう映画とは、静かで、ドラマティックでなく、うつくしい写真をゆっくりと眺めながら美術館を巡っていくような、ということだ。確かにどのシーンも美しく、色合いも陰影も心惹かれるものだった。監督は写真家であって、コマーシャルフォトの世界では有名な人らしく、それを知って観るといちいち腑に落ちるところがある。ゆったりとした2時間を過ごすことができた。
子どものころ海のそばに住んでいたのだが、この映画が描いたような家と庭がけっこう存在していたように記憶している。NHKのBSで放送されている『まいにち養老先生、ときどきまる』にでてくる養老孟司の住まいのような家と庭だ。多くは海を臨む斜面につけられた細い坂道を上がっていくと現れる古風な家。細い坂道が車道と交わる辺りに駐車スペースをみることがあるが、現代的な住居観とは少しかけ離れた古風な建築物だ。ちなみに、養老孟司の家は鎌倉で本作の舞台になった家は葉山なのだそうだ。なるほどねって感じではある。
その家と庭を守っているのが富司純子演じる絹子。同居している孫娘は渚。シム・ウンギョンが演じている。ふたりの静かな生活が税務署や不動産屋といった外部の干渉でゆっくり壊れていく予感がこの映画の美意識の根っこにあるのだろうが、家や庭だけでなく失われるであろう人々の暮らしの作法も実に丹念に描かれる。例えば着物の脱ぎ着にかける時間。また、玄関の三和土から家内に入る段差とその乗り越え方。絹子の音を立てない歩き方と孫の渚の家中に響くような足音なども計算されている。そんなことをゆっくり観ながら感慨にふける映画なのだと思って観ていた。
この映画を観ようと思ったのは緊急事態宣言が発出されれば確実に休館になる映画館から選ぼうと思ったからでもあるが、それ以上にシム・ウンギョンを観たかったからだ。『新聞記者』を観てからずっと気になっていた俳優だ。あまり説明されないのだが渚の母親は結婚を反対され駆け落ちのように日本を出て、そして死んでいる。渚は日本語を学びながら死んだ母親の生家で亡き母の生を感じ取りながら生活しているのだろうし、絹子は渚に死んだ娘の生を見ている。映画は絹子の夫の四十九日と睡蓮鉢の琉金の死から始まり、死を語るようで生を語り、生を語るようで死を語る。シム・ウンギョンはそんな足場の不安定な渚という存在を演じきったように感じた。
2021年4月22日 -立川キノシネマ-
*映画を観た日の早朝4時ごろに目が覚めてやることもなくラジオのスイッチを入れた。上野千鶴子が「おひとりさま」の死について語っていた。そこで彼女は子供からの「一緒に暮らしましょう」という言葉を悪魔の囁きと言って笑っていた。その誘いにのると地獄が待っているというわけだ。絹子にはもう一人鈴木京香が演じている娘がいるのだが、「一緒に暮らしましょう」と絹子を誘っている。いろいろ考えてしまった。考えるだけの時間をもらえる映画だったのだ。また、映画とは関係ないのだが上野千鶴子の次のような話も面白かった。みんなポックリ死を望んでいるけれど、それって突然死のことで解剖されちゃうってことですよ。